流派を問わず、空手の稽古において、型はかなり重要な位置を占めます。
型の練習を行うことによって、それぞれの突きや蹴りなどの技における、正しい体の使い方を知るばかりでなく、精神をも鍛えることができます。
なぜ空手の型の練習が、精神の修養に役立つのか、その3つの理由について、これからご説明します。
空手の型は「動く禅」だ
空手の型の練習はよく「動く禅」に喩えられます。
禅は、主に坐禅という形で、静かに座りながら心を整えることによって、精神を鍛錬します。
心を整えるために、まず1つ目は「正しい姿勢」、2つ目は「正しい呼吸」、そして3つ目は「雑念の払拭」が重要な要素です。
坐禅において、この3つの要素を導くための修行法として「数息観(すうそくかん)」といわれる修行法があります。
それは、静かに息を数えることによって、雑念を振り払い、今まさに自分が坐禅を組んでいることに意識を集中させるためのものです。
空手の型は、動作の緩急があり、また、気合いを発する箇所がある点に関しては、相違があります。
しかし、型における一連の流れそのものに集中して取り組むこと自体が、坐禅で言うところの「数息観」であり、正しいやり方と心を整えることが相互にリンクしている点では、空手の型も坐禅も、共通する事柄なのです。
精神の修養に役立つ、3つの理由とは?
(1)正しい手順と動作が決まっている
坐禅においても、まずはじめは姿勢から入ります。
姿勢の乱れはすなわち、心の乱れにつながります。
型においても、その技を正しく行うには、まず姿勢が大切です。
姿勢が乱れると、気持ちも乱れて、その技に魂が宿りません。
(2)技の緩急と呼吸がリンクしている
空手のあらゆる型の一連の流れの中には、ゆっくりとした挙動もあれば、力強くキレのある挙動もあり、挙動ごとに技の緩急があります。
その挙動ごとに、呼吸の深さや長さも変わっていきます。
しかし、正しい姿勢で正しく型を行うことは、思いのほかハードです。
繰り返し行っているうちに疲れが出てくると、呼吸が乱れ、なかなか型の練習に身が入らなくなる経験は、誰しもあることでしょう。
それを乗り越えながら、正しく型の練習を行うことによって、技術だけでなく、精神もまた練り上げられてゆくのです。
(3)型の手順を間違えるのは、雑念がある証拠
嫌々空手の稽古に来させられている、少年部の子供たちを見てみると、型の練習の際、全く身に入っていない子供は100パーセント、型の手順を間違えています。
彼らの心の中は、「こんなことやりたくない」「早く家に帰ってゲームしたい」などといったことばかり考えているに違いありません。
これが最も分かりやすい、雑念による影響の例です。
大人の方でも、稽古中に仕事や家庭の悩み事などを、つい引きずってしまうこともあることでしょう。
しかし、型だけでなく稽古の最中は、その手順や手順ごとの挙動一つひとつに集中するよう、意識を向けていくことが大切です。
それ自体、坐禅でいうところの「数息観」に相当し、強い精神を養うためにも重要なことなのです。
まとめ
型は、ただひたすら決められた動作を一人で行う稽古法なので、人によっては、地味で退屈なものかもしれません。
しかし、空手だけでなく、あらゆる武道の目的は、単純に自分の強さをアピールすることではありません。
肉体とともに精神も鍛えていくことこそが、その真の目的であり、型はまさしく、それにふさわしい手段なのです。