テコンドーは、オリンピックの正式種目になっている、韓国の国技であることは、皆さんもご存知かと思います。
しかし、その創始者やルーツについて、ご存知でない方は多いのではないでしょうか。
ここではテコンドーおよびその創始者のルーツと、空手との関連性について説明します。
テコンドーについて
テコンドーは、創始者であり軍人である崔泓熙(チェ・ホンヒ)が、様々な武道・武術を研究および体系化の末生まれた、韓国の武道です。
歴史としては比較的新しく、創始者による命名は、朝鮮戦争後の1954年、公式に認定されたのが翌年の1955年です。
テコンドーは「足のボクシング」とも呼ばれ、突き技もあるものの、腰より上を狙う蹴り技が主体の武道です。
しかも、その蹴り技の種類は、非常にバリエーションに富んでいるのが特徴です。
それゆえに、他の武道や格闘技の選手が、足技を究めるために、テコンドーを習いに来るという例も、数多くあります。
また、蹴り技の多彩さは、テコンドーの魅力でもあり、試合で繰り出される、飛び蹴りや後ろ回し蹴りなどの華麗な大技の数々は、見る者を魅了します。
テコンドーのルーツと空手との関連性について
テコンドーのルーツは、創始者である崔泓熙が参考とした武道・武術に辿り着きます。
テッキョンやスバックといった朝鮮半島古来の武術や中国武術の他、日本の空手もそのルーツに当たります。
空手は終戦後、日本に留学経験を持ち、その際に空手をマスターした人々によって、朝鮮半島でも普及しはじめ「コンスド(空手道)」「タンスド(唐手)」などと呼ばれるようになり、多くの団体が創設されました。
その中でも崔泓熙は、松濤館空手をベースとしつつも、韓国古流の武術や中国武術とを融合させて、独自の武道を作りあげました。
崔泓熙は、当時の李承晩大統領の前で、自ら率いる部隊と共に型を披露し、後にこれを「テコンドー」と名付けました。
空手や柔道同様、テコンドーも世界中に広まり、多くの競技人口を抱えるようになりました。
1988年のソウルオリンピックと1992年のバルセロナオリンピックでは公開種目、そして2000年のシドニーオリンピックから正式種目として採用され、今日に至っています。
まとめ
テコンドーおよびその創始者のルーツとして、空手は少なからぬ影響を与えてきました。
それゆえ、テコンドーが足技主体に発展していったのは、一説には空手との差異化のためとも言われております。
しかし、足技主体に発展した結果、韓国オリジナルの武道として昇華されたのです。
