皆さんは、熊と戦って”熊殺し”と呼ばれた空手家について、どこかで見聞きしたことがあるでしょう。
ここでは、その”熊殺し”と呼ばれた空手家についてと、”熊殺し”の真相について解説していきます。
これが”熊殺し”と呼ばれた空手家だ!
“熊殺し”と呼ばれた、その空手家の名は「ウィリー・ウィリアムス」というアメリカ人です。
彼は、極真会館のコネチカット支部に入門し、そこで大山倍達の弟子である大山茂の指導を受けました。
そのウィリーが”熊殺し”の名を馳せたきっかけとなったのは、1976(昭和51)年の映画「地上最強のカラテPART2」における出演でのことでした。
映画の中では、彼が巨大なグリズリー(ハイイログマ:ヒグマの一種)と戦っているシーンが収録されています。
また、彼がその名を有名たらしめた、もう一つの出来事として、1980(昭和55)年に蔵前国技館で行われた、格闘技世界一決定戦でのアントニオ猪木との一戦が挙げられます。
結果は引き分けでしたが、往年の格闘技ファンやプロレスファンの間では、すでにご承知のことでしょう。
その後、師である大山茂がUSA大山空手を立ち上げると、ウィリーもそれに合流しました。
その後も正道会館との団体戦や、リングス、FMWといったプロレス団体の試合に参戦ののち、格闘家を引退しました。
そして現在では木彫り職人の傍ら、空手の指導を行っており、教え子も育ちはじめています。
“熊殺し”の真相について
「地上最強のカラテPART2」での映像では、以下の流れで進行していきます。
(1)ウィリーがシャドーや型を行っているシーンと、草むらをひとり徘徊している熊のシーンが交互に現れる
(2)ウィリーが空手着の上衣を脱ぎ、上半身裸になって熊に立ち向かう
(3)熊と組み合い、倒されながらもウィリーは熊ともみ合いになる
(4)最後、熊が戦意を喪失し、ウィリーが優勢となり、熊に馬乗りになって攻め続けるところで場面が切り変わる
結局これらのシーンだけでは、彼が熊を殺したのかどうかは、定かではありません。
山で熊に襲われて、命を落とした人が後を絶たないことからも、実際の熊の身体能力には、いくらウィリーのような屈強な人間でも、到底かなわないでしょう。
また、このシーンのために、熊側に何らかの処置(投薬、爪や牙を抜くなど)が施されていたという話も聞かれます。
一連のシーンでは、ウィリーが熊と互角以上の戦いをしていることから、映画での演出のために、熊にそのような処置を施していた可能性も大いにありうるでしょう。
彼が本当に熊を殺したかどうか、真剣に議論するよりも、エンターテインメントとして割り切る方が、妥当かもしれません。
まとめ
とはいえ、長身のウィリーですらはるかに超える体長の熊を相手にするのは、大変勇気のいることです。
この撮影の際も、スタッフが怖がってみんな逃げ出してしまうほどだったそうで、彼自身も内心逃げ出したかったと、後年に述懐しています。
“熊殺し”の真相はさておき、熊と格闘した事実だけでも、彼の心身のタフさをアピールするには十分すぎるのではないのでしょうか。