角田信朗が「愛と涙と感動の空手家」と呼ばれるワケ

正道会館空手最高師範で六段の段位を持つ、角田信朗。

彼の多芸多才さはともかく、彼が「愛と涙と感動の空手家」と呼ばれることは、古くからのファンの方なら、ご存知かと思います。

ここでは、角田信朗がなぜ「愛と涙と感動の空手家」なのか、そのワケについて、彼の経歴とともに解説していきます。

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空手に限らずマルチな才能を発揮

角田信朗は、中学時代に少林寺拳法に入門、そして高校時代に極真時代の芦原道場に入門、その後兄弟子である石井和義が独立して正道会館を立ち上げると、それを支え続けました。

大学卒業後、他で働きながら空手を続け、正道会館の神戸支部長、その後本部職員となり、師範代となりました。

選手としては、正道会館内外の空手の各大会やK-1、そしてリングスでの試合に多数出場しています。

特筆すべきは、極真の全日本ウエイト制全日本大会で、他流派史上初の4位入賞を果たしたことです。

他にもK-1競技統括プロデューサーやレフェリーの他、タレントや歌手としても活躍され、その多才さは皆さんもご承知の通りです。

さらに近年では、その鍛え上げた体を活かしてボディビル大会に出場し、数々の好成績を収めていることは、記憶に新しいところです。

なぜ「愛と涙と感動」なのか?

このように一見順風満帆にも思われる角田信朗の人生ですが、その華やかな経歴の影には、数々の苦難がありました。

今の姿からは想像できませんが、彼は小学校時代、転校先でいじめを受け、孤立状態に陥っていました。

そのことが、彼にとって武道を志すきっかけとなりました。

また、正道会館発足後しばらくの間は、サラリーマンの他、夜間営業のラーメン屋の店員や建設現場のアルバイトなど様々な仕事に、道場の運営が厳しいときには、警備員として危険な業務にも従事ながら、空手の指導を続けました。

角田信朗は、彼自身の人間性や感情が溢れ出る試合を行うことで知られています。

試合後に人目をはばからず感極まって泣きだすこともあり、それが「愛と涙と感動の空手家」と呼ばれる所以であります。

何事にも感情移入が強いあまり、K-1においてレフェリーを務めた際、私情の入ったレフェリングで物議を醸したのも、良くも悪くも、彼の人間味溢れる部分ではないでしょうか。

まとめ

50代後半に差し掛かってもなお、タレント性とマルチな才能を存分に発揮している角田信朗。

その裏には、小学校時代のいじめから始まり、空手を始めてからも、様々な苦労や下積みを経験しながら、格闘家の地位向上に尽力してきました。

裏を返せば、このような苦労や下積みがあるからこそ、今の角田信朗がいると言っても過言ではないでしょう。

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