空手の起源を辿ると中国にまで行き着く、その理由とは?

空手は言うまでもなく、沖縄生まれの、日本が世界に誇る武道であります。

けれども、その成立までの経緯を辿ると、中国拳法起源のものが散見されます。

ここでは、空手の起源を辿ると、なぜ中国まで行ってしまうのか、簡単ではありますが、その理由について説明します。

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空手成立の時代背景について

空手の原型が形作られた、当時の琉球王朝において、琉球人と中国人、特に福建省の人々とは、活発な交流があったと言われています。

お互いに外交や交易等で渡航する機会が多く、中国に渡った琉球人たちが、現地で中国拳法をマスターして、琉球に帰ってから教えたり、また、琉球にやってきた中国人たちが、自ら体得した中国拳法を琉球人に教えていたりしていたそうです。

例えば、下記に挙げた、空手の源流となる三大系統の成立過程が、その好例です。

・那覇手:明朝当時の福建省から移住してきた人々によってもたらされた

・泊手:漂着してきた中国人たちから拳法を学んで発展させた

・首里手:大家である佐久川寛賀とその弟子、松村宗棍はいずれも北京への留学経験があり、その際に中国拳法を学び「手(ティー)」と融合させ、発展させた

そのため、空手の起源を辿ると中国は福建省、果ては北京まで行き着いてしまうのです。

空手の成立の経緯と中国拳法の関連性について

沖縄で空手が成立した経緯として、上記のような中国との交流によって伝えられた拳法と、沖縄固有の武術がミックスされ、加えて日本の剣術や体術などが融合されて発展したと言われています。

その中でも、空手の起源となる中国拳法としては、こうした経緯から、北派と南派のいずれの拳法もあてはまります。

例えば、南派拳法の一つであり、空手の起源の一つとも言われている白鶴拳には、套路、すなわち型の中に「三戦」という名称のものがあります。

この「三戦」の套路においては、下記のような共通点が見られます。

・軽く膝を曲げた、内股気味な立ち方

・両肘が体の中心寄りに、両方の拳が肩幅に位置した、体の中心から絞り出すような構え方

・片足を前に出してから、後ろ足を前に踏み込んで左右逆の構えになる際、体の中心寄りに弧を描くような足の運び方

福建省との交流が盛んだったため、白鶴拳に限らず、南派拳法の各派の影響が、特に強いと言われています。

まとめ

空手には、様々な起源を持つ武術や拳法が融合されて成立しました。

その起源を一つひとつ辿ると、中国は北京にまで行き着く武術も含まれています。

沖縄において、それらを一つにまとめ上げて空手が大成し、さらに本土ばかりでなく世界に広まって、空手は今もなお進化し続けているのです。

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