どこの空手道場でも、稽古の中で必ず行われる「型」。
空手を習われている方でしたら「型を稽古することにどのような意味があるのだろうか」と、誰もが疑問に感じたことがあるかと思います。
ここでは、空手の稽古において、なぜ型を行うのか、その意味について解説していきます。
技は本来、型の中で覚えた
空手において型とは、ある想定された状況に基づいて、攻撃と受けを一連の流れで組み合わせたものです。
そしてその状況は、常に相手がいると想定されたもので、それを一人でイメージしながら行います。
その一連の流れには、様々なバリエーションがあります。
その流れの中で、それぞれの挙動で用いられる技に対する正しい体の使い方やタイミング、呼吸などを覚えていきます。
単発の技だけの基本稽古では体得できない、各挙動間のスムーズな動きやバランスを養うことができます。
また、普段の基本稽古で行われている「受け」の技が攻撃技として使われたりするなど、その技本来の奥の深さにも触れることができます。
もともと突きや蹴り、受けといった空手の技は、型の中で学んでいました。
現在、基本稽古として、各技ごとに単発で行っているものは、後の時代になってから、誰もが覚えやすいように、型の中から分解されたものなのです。
型を通して、心と体も鍛えられる
型の中には、例えばナイファンチ(流派によっては鉄騎ともいう)では、腰の低い騎馬立ちで行うように、無理な姿勢で行う型もあります。
当然ではありますが、そのような立ち方では、実戦には対応できません。
そのような型で、あえて無理な姿勢で行うということは、負荷をかけている部位に対する鍛錬の意味合いも持ち合わせています。
また、1人で行うということは、真剣に行うこともできる一方、誰も見ていないところでは、手を抜くこともできます。
型を真剣に行うか、あるいは手を抜きながら行うかによって、自分の空手に対する姿勢とも向き合うことになります。
型を通して、自分の弱い心や怠惰な心に気づき、それを克服することによって、体のみならず心の鍛錬にもつながってゆきます。
まとめ
空手において型とは、まず1つ目は技を覚えるため、そしてもう1つは鍛錬のためという、2つの大きな意味を持ち合わせています。
型は一人で行う分、いいかげんな稽古にも陥りやすくなります。
けれども、そのような自分の弱い心に気づき、真剣に取り組もうという気持ちを持てば、心・技・体の全てが、型によって鍛えられてゆくのです。