空手が礼に始まり礼に終わるといわれる、その所以とは?

「空手は、礼に始まり礼に終わる」

皆さんがよく耳にする一文ではないかと思います。

ここでは、なぜ「空手が礼に始まり礼に終わる」のか、その所以について説明します。

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人は一挙手一投足で、その人となりが見られる

「人は見かけによらない」と、皆さんはご自身で考えたり、あるいは誰かから言われたことも、必ずあったかと思います。

しかし、その人の仕草や振る舞い方、態度、言葉遣いによって、その人の性格や人間性が判断されてしまうこともあるのです。

端的な例を挙げますと、ラッシュ時の電車の中で、わざとこちらに肘を押し付けたりしてくるなど、嫌がらせをするような人と居合わせてしまって、不愉快な通勤・通学をされたことのある方は、多数いらっしゃるでしょう。

またクルマやバイクを運転しているとき、後ろのクルマから煽られたり、急な割り込みをされるなど、他のクルマから危険な目に遭わされた方も多いでしょう。

そのような粗暴な振る舞いをする者は、基本的に礼儀や節度など持っておりません。

彼らは常に自己中心的で、我慢することや、規則を守るということができません。

彼らはいつでも、自分の欲求を満たさないと気が済まず、そのためには、周囲を押し退けたり、粗暴な振る舞いをしたりしてまで、自我を押し通そうとするのです。

空手が礼に始まり礼に終わる、その所以とは?

空手は、その鍛え抜いた素手や素足で、お互い打ち合います。

鍛え抜けば一般の人に比べて、腕っぷしが強くなるのは当然です。

しかし、その腕っぷしの強さを、自我を押し通すための手段として使ってしまうなら、先に挙げた粗暴な人たちと変わらなくなってしまいます。

空手では、稽古前に道場に入るときや、途中の出入り、そして稽古を終えて道場を退出する際など、至るところに礼儀作法があります。

もちろん、道場外での振る舞い方についても、礼儀作法が定められています。

また先生や指導員の話を聞くときや、先輩に接する際の態度のあり方についても、それらが決められており、一つひとつ守ることによって、自らを律することを学んでいきます。

もしも、それらがおろそかになった場合には、先生や指導員、先輩方から注意を受けて、改めさせられます。

それゆえに「空手は礼に始まり礼に終わる」のです。

まとめ

空手は、自らの鍛錬や相手との組手ばかりではなく、礼儀作法を通して自我を制御し、その鍛錬された肉体や技術を悪用できないしくみになっています。

「礼に始まり礼に終わる」

そのことによって、常に自らを謙虚たらしめるのです。

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