空手で「押忍」を使わない流派ってあるのか?

空手未経験の皆さんにとって「空手」というと、まず連想するのは「押忍」という挨拶ではないでしょうか。

しかし「空手=押忍」のイメージばかり先行して、「空手をやる人はみんな『押忍』と言うものだ」と、思い込んでいる方も多いことでしょう。

ここでは、空手で「押忍」を使わない流派が存在するのか、また、あるとするならば、なぜ使わないのかについて解説していきます。

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「押忍」を使う流派と使わない流派

皆さんが空手の挨拶で「押忍」と言うイメージがを持たれるのは、おそらく、メディアへの露出度が比較的高い、極真カラテのイメージが強いのではないかと思われます。

実際に極真会館、およびその系譜を継ぐ各会派では、入門すると受け応えは「はい」の代わりに「押忍」を使うよう指導されます。

極真系の各会派以外では、松濤館系の日本空手協会が「押忍」を使いますが、同じ松濤館系の道場でも「押忍」を使わないところも、多くあります。

むしろ「伝統空手」と呼ばれる各流派の道場ほど、逆に普通の「はい」や「お願いします」など、一般的な受け応えを行う傾向にあるようです。

意外な話ですが「押忍」を使わない流派の方が、その多くを占めているのです。

「押忍」に対する見解は表裏一体

空手で「押忍」を使う流派が、なぜそうするのかという見解ですが、「押して忍ぶ」つまり「自我を抑えて我慢する」心構えを持たせる、という理由が挙げられます。

さらに、あえて一般的でない挨拶を使い、そして一般社会から切り離すことによって、空手の道を極めることへの自覚を持たせるという意味合いも、持ち併せています。

逆に「押忍」を使わない流派は、その世界固有の挨拶を設けると、閉鎖的な世界となり、一般社会に通用しなくなるということが、その大きな理由です。

「押忍」を使わない流派では、一般的な挨拶や受け応えの仕方を習慣づけることによって、社会に通用する人間を育てる、という考え方を持っています。

「押忍」に対する見解は、流派ごとに二分され、まさに「表裏一体」であると言えるでしょう。

まとめ

「押忍」を使う流派と使わない流派、それぞれに善し悪しの区別はありません。

道場に入ったら、仕事や学校、家庭を忘れて稽古に打ち込む心構えを「押忍」に込めるか、あるいは社会からの延長線上として、空手の道が存在するか、いずれもその流派の思想が盛り込まれているからです。

そして皆さんが、もしも空手道場に入門をしようと思い立ったなら、挨拶の仕方も含めて、その理念やスタイルに、ご自身が賛同できるような道場を探してみましょう。

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